昭和40年12月06日 朝の御理解



 昨日から、昨夜に掛けて頂いております御理解には、中心はこの神に頼まれると、そこから頼んだ者も助かれば、頼まれたものも助かると、というあり方その生き方こそお道の信心のそもそもの始まりはそこからだと。と言う様な、ま御理解を頂き続けてまいりましたわけでございますけれども。
 今日はそこの頼み頼まれるという事によって、あのおかげ頂いていく道であると。如何に頼み頼まれる仲であってもです、そこにけじめというものがなからなければ、また反対におかげ落とすという事です。ね。これは福岡の西新町に、国武というもう、福岡の吉木先生あたりと同期ですから、もうやがて70でしょうという先生がおられます。満州引き揚げの先生ですけれども。
 福岡で大体甘木の手続きですけれども、まあ同期関係で、福岡の吉木先生の所で引き揚げて、あそこで修行なさっておられた。そして終戦後です西新に出られたんですが、その先生なかなか気骨のある先生です。その先生が、話しておられましたんですけれども、私の父ですよ、国武先生のお父さんは、当時甘木のご建築がある当時に、あちらの総代を受け承っておられた。
 そしてその亡くなられる時にこれは遺言です。そしてその今の国武先生に言われたことはですね、あのご建築の時分に親先生とご一緒に、御食事を度々させて頂いておったことが、私のおかげの落とす元じゃったと。これだけは謹めよといってその亡くなられたということです。してみると、椛目の人なんかおかげ落とさんならん、勿論それは形のことではない内容のことだとこう思うですね。慣れてくる。それこそ先生の肩叩くごとなる。どうですか先生ち。
 親先生がそう言う様な事になったら、お道の信心はおかげが受けられないと言う事ですね。と言うてそのそれが形だけでなく、内容であるというところに、いわば難しさがあるわけです。そこになるほど先生もう先生でなからなければならん、信者も信者でなからなければならん。そんなら甘木の初代が、そんなに偉くないお方であったかというと。皆さん御承知のように当時日本一と言われる様な先生であった。
 けれどもそこにです。そのもう毎日毎日ご飯食べに行っておるもんですから、もうその裏も表も見ていきよる。いわゆるご飯でも何でも、やっぱりその一緒にこの頂いて、いわばあんまり内々のことになりすぎたという事だと。教会でも息子さんやら、奥さんやらが親先生、親先生とこう親先生に、親先生と言えれるようになったら。教会のごひれいが立つと言われております。
 けれども殆どの教会がそう言うておりますけれども、だから言うておるだけではいけないということです。ね。問題は内容が親先生として頂けておるか、また頂いておるかということにあるのです。「からすにも、三枝の礼あり」と言われております。からすでも親よりか三枝だ下に留まると。「師の陰三尺」ね。師の陰でも踏まないと。例えば道を歩かせて頂くでも三尺ぐらいは後ろからしか、付いて行かんもんだと。
 こう言う様な事は本当に、そりばってん実行しなければいけないと思うですね。ところがその馴れ馴れしくなると、すぐ先頭に立って行こうとする。さあお茶菓子でも出るともう、先生もとろうとせられんのに先食べてしもうて、先生が食べるときには無かち言うごたる事にそらなってくる。これでは双方がおかげは受けられない。頼み頼まれるという仲、ね。そこんところを、頼み頼まれると。
 そこに頼んだものも助かるなら、頼まれたものも助かるという、例えば御理解を頂いてまいりましたがです、今日は私はその双方が、おかげを受けられんということです。ね。なめられた先生も助からんなら、なめた信者も助かりきらんということですよ。助からないということですよ。ね。そこで私が思うんですけども、これは決してほんならここで私と皆さんとの関係ということをです。私が威張ろうというわけでもない。ね。
 だから、皆さんが言われたからと言うて、形だけそうしてくれというのでもない。問題は内容である信心である。本当に例えば総代であり幹部でありと本当に、先生に何時も接し続けておる人たちが、特にそこんところを私は覚えておかなければならんというよりも、その問題は接すれば接するほど、家の親先生ばっかりは、もう本当に接すれば接するほど、素晴らしいお方だと。
 そうしなければおられないということになる事は、勿論ですけれども、そういう例えば、甘木辺りの偉い先生でもです。やはり一緒にご飯を頂くようになると、段々なれてくると、ここんところをいわば謹んで置けよという事なのである。戒心が必要であるということである。警戒して置けよということである。私共兵隊に参りましたときに、上官の方から、「大坪」ち言う。「はい」ち。
 「大坪」(大声)ち。「はい」(大声)て。言ったもんです。この辺が難しいんですねえ。如何に例えば、上官が、「大坪」ち、言われても、「はい」(大声)といわねばならんようになっとる、兵隊は。ね。こっちがちっと甘い顔すりゃ、もうすぐのぼりあがると言うて、怒られたものです。「大坪」「はい」。「大坪」。「はぁい」(大声)ち、言う(大声で笑いながら)。言われてから、初めて気が付く。
 ですからたまにはやはりそれが、こう必要じゃないかと考えるですねえ。そういう例えば上官と、その下に付く兵隊と言うても、間というものは磨かなければ、昔の兵隊は成り立たなかったということです。上官の命をそのまま朕の命令として、頂かなければならんという時代ですから。ね。例えば今でもそれは私はそういう、旧態然としたですね。「からすに、三枝の礼あり」とか。
 「師の陰、三尺を踏まず」とか、という旧態然とした表現ですけれども、その内容のことを私は言っておるわけです。ね。こうした民主化した今日ですから、天皇陛下ですらお側で、お話が出来るような時代でございますけど、信心はそこんところを取り違えると大変ですね。いわゆる頼んだものもおかげ頂かなければ、頼まれるものもおかげ頂かない。言うならそこんところの。
 頼み頼まれする間柄になってまいりますから、ね。私がしてやっとるとね。私がしてあげておると。私がこればしとるからと言う様な事がですね、私はすでにもう信心ではないと。そこにおかげも受けられない。いわゆ、国武先生のお父さんじゃないけれども、それが私がおかげ落としの元じゃったと、ここだけは一つ戒心してくれよと。謹んでくれよと。だからこのへんのところは、どうぞ皆さんがですね間違えんように。
 家の先生はなかなかいば威張っちょる。もういちいち、そのお取次ぎがいる。もうお取次ぎの先生に、お取次ぎのいるこつなったら、こらまたいけないと思うですねえ。本当に一緒にお食事をさせて頂けれるという間柄。それであって私は心のなかにその気持ちというものが、何時もいわゆる私がお供えには、喜びと慎みを添えてとこういうことを申しておりますがね。
 私共の心の中に喜びと慎みというものがあるときには、自分を親先生の前に捧げておるときです。喜びと慎みがあるときならば、例えそれは馴れ馴れしゅう、言うておっても、私はそれを何時も思うんですけれども、秋永先生なんかはどっちかというと、ざっくばらんですから、もう私のことを頭から、例えばその悪く言うような事がありますけれども、その、内容に何時も触れる時にですね、いわゆるもうああなるほどと感心することがありますですねえ。だから形ではないということです。
 だからその内容が自ずと、また形の上にも現れてくるおかげと。これは本当にもう美しいものでもあると、思うですね。私はそのことを今日、お気づけ頂いてから、神様にそのことをお礼申し上げておりましたらね「立っておるときには、座っておる時には、立っておる気持ち」「寝ておる時には、座っておる気持ち」と。ということであると申しております。先生がもし座ってあるときには、自分が立っておるくらいな気持ち。
 それよりかもう先生よりか先に座ろうとする。ね。先生が寝らした時初めて自分が座るというくらいな気持ちになれば、おかげと。ね。先生の着物じゃろが、なんじゃろがもうまたぐってから歩くごつなったら、もう家族の者はおかげ受けられんです。ね。先生の袴がもう、結構乱れとろがどうしようが、それを本当にこうまたぐる段じゃないそれをいちいち、もうすぐはきなさるとでも。
 たたまにゃおられんというぐらいな気持ちでなからなきゃ、おかげは受けられん。そうしなければならんのじゃない。そう頂かなければ、おかげにゃならんということ。ためにいよいよその先生自身の信心というものがです。家族の者からでも何時も、側で御用を頂いている者からでも家の先生は、どっから見ても有り難い先生だなと、言われる先生にならなければならないことは勿論だけれど。
 これは例えば、甘木の親先生のような偉いお方でもです。一緒にご飯を頂くようになって、ご建築の時に、まテンヤワンヤの時でございましょうから、もう別々というわけにもいかん。まあ先生と御一緒にご飯を頂いて下さいと言った様な、あの時代に自分はおかげを落としたと。それをなくなる時に、いわゆる国武先生に遺言がそれであったということ。から押してです人間ですから馴れ馴れしゅうやはりしておると。
 本当に馴れ馴れしゅうなってしまうということ。ここんところを、本当に一つ、私共は、頂いていかなければならないと思うですね、ね。頼んだ者もおかげを頂くなら、頼まれた者にもおかげを頂くという事を、ま頼み頼まれる仲に成って行くということが、おかげが双方のおかげであるということ。けど頼み頼まれるようになってくるとです、ね。私が頼まれてやっておると、頼まれて私がしてやっておると言うようなものが。
 どこの端にか出てくるようになってです。内容の中にそうした師を軽う見るとか。師というよりも、私はここに金光大神を軽う見るということ。取次者を軽う見るというところからです。いわゆる金光大神としての拝むことが出来ない状態になってくる時に、おかげが乱れてくる。いよいよおかげがいよいよ接近すればするほどにです、私はお互いがおかげ頂けていけれるような道を。
 心の中に考えまた心の中に頂いておかなければいけないと。先生がやおうお出て来ると一緒にやっぱり柔うおなって出て来る。人間のこらもう通有やっぱこら心がけとかんと、そこん所をやり損うと。ね。それは私共が兵隊の時に体験させて頂いた。上官から優しう「大坪」と。といわれると「はい」ち言う。ね。向こうはその事を試しよるとです。だから「大坪」(大声)といわれると「はい」(大声)というて、ふめむしをとってから、「はい」を言うたようにですね。
 「大坪」といわれても「はい」というそこんところに、私は昔の兵隊、昔の軍人の日本の軍人の素晴らしさは、あれは言わば規律というか行儀というか、そういうところに素晴らしさがあったと、こう思うのですね。信心でも同じ。そいう事が形の上ででもおんなじことですけれども、それが内容にそう言う様な、おかげが頂けた時に、私は本当な頼む者も、また頼まれる者も、おかげ頂けてくる道が、開けてくるんだと思うんです。
   どうぞ。